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2015年09月26日 (土) | 編集 |
訪問日:2015年6月20日

伏見城は京都府京都市伏見区にあったお城です。
豊臣秀吉徳川家康という二人の天下人が関わったことで有名な伏見城ですが,途中で場所が変わるなど変遷は少し複雑です。
1592年 豊臣秀吉が自分の隠居屋敷として伏見の指月岡(しづきおか)に築かせたのが最初で指月伏見城と呼ばれます。この時点では甥の豊臣秀次への政権移行を進めていたと考えられるのです。
その後,実子である豊臣秀頼が誕生し,甥の豊臣秀次が切腹させられるという事件が起ったころ,指月伏見城も本格城郭として整備されていきました。1596年 慶長伏見地震と呼ばれる大地震により指月伏見城は倒壊。1597年 指月岡の東北にある木幡山(こはたやま)に改めて築かれた木幡伏見城です。1600年 関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いにおいては徳川方の鳥居元忠が城将として奮戦しましたが,石田三成方の攻撃により落城し全焼。1602年 徳川家康によって再建された木幡伏見城が最終の伏見城ということなりますが,二条城が整備されると廃城となりました。近代に入り木幡伏見城の中心部は明治天皇の御陵となり立入禁止,市中に没した指月伏見城は存在した場所すら不明確という状態でした。

伏見城/模擬天守  伏見城/駐車場
【左】伏見城のシンボルのように建っているこの模擬天守ですが,2003年まであった伏見桃山キャッスルランドという遊園地の建物でした。閉園したにも関わらず市民の要望で残されたとか,私も子供の頃は京都府在住でしたので何度か訪れたものです。
現在は伏見桃山城運動公園として整備されていますが,実際に天守が建っていた場所とは無関係。縄張上は木幡伏見城御花畑山荘という曲輪の位置になります。
【右】実際の本丸を中心とした主要部分は,公園駐車場の東側の山並みの中にありますが,現在は伏見桃山陵となっています。

伏見城/土橋付近  伏見城/東側堀
【左】公演駐車場へ至る道は東側の堀治部池の間を抜けますので,土橋であったと思われます。
【右】道の北側を覗き込みますと,木々の間から僅かながらを確認できました。

伏見城/北側堀  伏見城/北側堀2
【左】北側の巨大な堀跡北堀公園と整備されています。
【右】写真でも非常に幅の広い堀であったことがわかりますが,場所によっては幅が100m程度もあったという。

伏見城/北側堀3  伏見城/治部池
【左】堀跡は散策路やグランドとして,市民の憩いの場となっています。
【右】先程の土橋付近から伏見桃山陵への参道に入ります。参道途中で治部池の水面を見ることが出来ます。

伏見城/参道右横の治部丸  伏見城/出土石垣
【左】右側の森の奥が治部少丸ですので,石田三成がいた曲輪なのでしょうか。
【右】参道途中に使用されていた石垣の展示があります。
城域内には実際に石垣が残っている場所もあるようですが,ほとんど立入禁止で見ることが出来ないためこれで我慢です。

伏見城/堀(三の丸⇔四の丸)  伏見城/西の丸方面
【左】参道がカーブする三の丸四の丸の間くらいですが,この深い谷底にもがあるそうで。
【右】伏見桃山陵に向かって左手の山が西の丸のあったところと思われます。

伏見城/伏見桃山陵(明治天皇陵)  伏見城/本丸天守方面
【左】明治天皇陵である伏見桃山陵
陵墓の背後にある山が丁度本丸のあったあたりです、
【右】天守があったのはこの辺りかな。

伏見城/参道と眺望  伏見城/山里丸へ
【左】御陵の表玄関からは写真の長い階段を上ることになりますが,参道の終点あたりが四の丸にあたります。ここからは町並みが良く見渡せます。
【右】階段を下りず直ぐ東の山里丸へ向かいます。

伏見城/伏見桃山東陵(昭憲皇太后陵)  伏見城/参道階段下から
【左】山里丸には明治天皇の皇后である昭憲皇太后伏見桃山東陵があります。
【右】先程の参道の長い階段の下に回り込んできました。
これ上るのかなり大変そうです。

伏見城/福島太夫段差  伏見城/JR奈良線
【左】城下を散策しています。
木幡山に築かれた木幡伏見城から見ると東側のJRや近鉄の駅に向けて高度は下がっていくわけですが,その間に大名屋敷等がありました。所々に見ることのできる階段状の地形は意図的に削平されたものと考えられます。
写真は福島太夫段差と呼ばれる段差です、
【左】JR奈良線が走るこの部分も平山城であった伏見城から続く階段状の地形を感じさせます。

伏見城/海寶寺  伏見城/海寶寺 もっこく
【左】現在,海寶寺のある場所は伊達政宗の伏見屋敷があった場所です。
【右】境内には伊達政宗が愛でたという樹齢400年の木斛(もっこく)が今なお健在です。

伏見城/栄春寺山門  伏見城/惣構土塁1
【左】栄春寺の山門は伏見城の遺構と言われています。
【右】栄春寺の墓地は伏見城惣構えの土塁の上にあります。

伏見城/惣構土塁2  伏見城/御香宮神社 表門
【左】別の角度からですが,僅かに残る土塁が広大な伏見城の城域を示す生き証人となっています。
【右】御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の表門は伏見城の大手門と言われています。
中には豊臣秀吉を祀る豊神社と徳川家康を祀る東照宮が共存している珍しい神社です。

伏見城/伏見城位置関係
さて,最初に豊臣秀吉が築城した伏見城は現在の木幡山では無く,指月岡にあったと冒頭に説明ました。
指月伏見城は地震で倒壊後,歴史の表舞台から消え忘れされていき,場所すら特定されていませんでした。今回,何とマンション建設現場にて指月伏見城の遺構が発掘されたとの情報が入り,現地説明会に行ってきました。画像は現地で入手した資料の抜粋です。

伏見城/発掘現場の行列  伏見城/指月城発掘現場
【左】現地説明会は凄い人数の人が押し寄せていました。
【右】発掘された石垣石等が並べられています。

伏見城/指月城 堀1  伏見城/指月城 堀2
【左】これが発掘された堀跡。石垣もしっかり残っています。
凄い,400年以上の時を経て私達の前に姿を現した指月伏見城の遺構。大興奮の瞬間ですね。
【右】別の角度から。

伏見城/指月城 堀3  伏見城/指月城 出土物
【左】石垣のアップ。
【右】金箔を使った瓦が多数出土しました。紛れもなく天下人の城である伏見城の遺構。

伏見城/舟入れ  西教寺伏見城遺構
【左】発掘現場の東側の谷筋は舟入の跡だとか,城のそばまで船で入ることが出来たわけですね。
【右】これは別の日に訪問した滋賀県大津市 西教寺客殿。伏見城の遺構と伝わっております。

歴史的には非常に名高い伏見城も木幡山は御陵となっているため,肝心の中心部は確認不能です。しかし,外郭から丹念に歩いてみれば縄張りを感じることができます。ともかく今回は幻の指月伏見城の遺構が見れて幸せですが,埋め戻してしまうのが残念ですね。


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コメント
この記事へのコメント
ああ、この現説行かれたんですね!
職場近くの歴史好き飲食店主と「行けなくて残念」って話題になってたんですよ。
こんな時に入手できる資料がまた貴重なんですよね。もう機会はないのかなあ…
2015/09/27(Sun) 11:29 | URL  | 落人 #-[ 編集]
Re: タイトルなし
> ああ、この現説行かれたんですね!
> 職場近くの歴史好き飲食店主と「行けなくて残念」って話題になってたんですよ。
> こんな時に入手できる資料がまた貴重なんですよね。もう機会はないのかなあ…

何か建てるみたいなので
もう埋めてしまったんじゃないでしょうかねぇ。

兵庫城も無慈悲にもあっさり埋められてしまったみたいですし。
落人さんの記事を見なければ,永遠に見れないところでした。

部分的にでも残して観光資源にでもすればよいと思うのですが
中々そうはいかないのでしょう
2015/09/27(Sun) 11:56 | URL  | こにる #-[ 編集]
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