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2013年07月31日 (水) | 編集 |
訪問日:2013年4月,2015年11月

長浜城は滋賀県長浜市にあったお城で,市史跡に指定されています。
織田信長浅井長政を攻め滅ぼした後,戦功のあった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に浅井氏の旧領を与えました。
秀吉はことにより,1573年 当時,今浜といったこの地に秀吉が築城し,それまでの北近江の中心城郭であった小谷城より機能を移しました。
秀吉は本格的な城持ちとなり,この以後飛躍的な活躍をしていくことになるため,出世城と言われています。後に豊臣政権を支えることになる五奉行の主要メンバーである 石田三成,増田長盛は秀吉の近江時代に召し抱えられたとされています。このお城,信長政権においては安土城を中心とした環琵琶湖城郭ネットワークの一角を坂本城,大溝城とともに担います。安土桃山時代を通じて活躍し,江戸時代初期には廃城となったようです。

長浜城/豊公園  長浜城/模擬天守(長浜歴史博物館)
【左】長浜城があった場所は現在 豊公園として市民の憩いの場となっておりますが,廃城後に資材は彦根城の建築に回されたため,実際の遺構はほぼ無いという状況です。
【右】昭和に建築された模擬天守は長浜城歴史博物館となっております。
秀吉や長浜関係の歴史や所縁の品物が紹介されています。

長浜城/天守跡  長浜城/石垣
【左】実際に天守のあったとされる場所は,博物館の裏手の小山となり,写真のような秀吉の銅像と石碑があります。
【右】この通路横の石垣は豊公園整備時に付近に散乱していたものを積み直したとか。ということは石は本物なんでしょうね。

長浜城/太閤井戸  長浜城/石垣根石
【左】天守跡の近くの水際にあるのは太閤井戸です。
水位が上がると碑だけしか見えないようですが,写真では少し形がわかります。
お城自体がもっと琵琶湖側に広がっていたということです。
【右】公園内に会った石垣の根石です。基礎の部分ですね。

長浜城/本丸跡  長浜城/縄張り
【左】これも公園内。本丸跡の碑です。
公園内には各所で○○跡という説明があります。
【右】実際の城域は港や現在の都市部も取り込んだ広大なものであったようです。
現在は埋立てや都市化により,随分と変わってしまっております。

長浜城/内堀跡  長浜城/外堀
【左】内堀はすっかり埋まってしまい公園玄関に碑が残るのみです。
【右】しかし,町中を散策すれば,お城の面影に出会うことが出来ます。
3重の堀で囲われていたとされる長浜城ですが外堀の跡は確認することができます。

長浜城/大手門跡  長浜城/大通寺台所門
【左】この交差点は大手門跡の碑があります。
【右】実際の大手門は大通寺に移築され台所門となっていると伝わっています。

長浜城/知善院表門  長浜城/秀吉と光成像
【左】一方,搦手門は知善院の表門になっていると伝わっております。
【右】JR長浜駅の前にある秀吉公と石田三成公 出会いの像です。
二人が出会ったのは秀吉の近江時代。石田三成は同じ長浜市の石田町で,出会ったのは米原市の観音寺。有名な逸話ですので割愛します。

この長浜城ですが信長や秀吉の歴史を語る上では欠かせないお城です。
戦国歴史物の書籍等には頻繁登場するのですが,城郭として機能した期間が案外短いことや,その後の彦根城に資材を転用されたことにより,遺構を楽しむと言うにはちょいと物足りない。しかし,秀吉が繁栄させた町である長浜は現在も湖北の重要拠点。近代の整備された部分と歴史的で趣のある部分が共存する町でした。


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ジャンル:学問・文化・芸術
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