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2017年01月21日 (土) | 編集 |
訪問日:2016年1月

一宮城は徳島県徳島市にあったお城です。
県史跡に指定され,続日本100名城にも選定されています。
南北朝時代 1338年 小笠原長宗による築城と伝えられ,子孫である一宮氏が居城としていました。
1338年 土佐より長宗我部元親が侵攻した当初,一宮成助(成祐)は元親に従いましたが,途中で織田信長方の三好康長(笑岩)と気脈を通じたことを咎められ自害します。
1585年 羽柴秀吉が四国に侵攻した頃には長宗我部氏の重臣である谷忠澄が城主となっており,秀吉軍の羽柴秀長の攻撃を凌ぎました。同時に谷忠澄は元親に秀吉への降伏を身を挺して勧めたことでも知られます。
現在の石垣造りになったのは元親が秀吉に降伏の後に阿波国を任された蜂須賀家政時代と考えられますが,本拠地が徳島城に移されたことにより蜂須賀氏の重要な支城である阿波九城の一つとして機能します。一国一城令により1638年に廃城となっています。

一宮城/遠景  一宮城/入口
【左】一宮城は標高144mの城山に築かれた山城です。
【右】県道21号線に案内が出ています。

一宮城/一宮神社  一宮城/登城口
【左】早朝であったので麓の一宮神社の前のスペースに車を置くことができたので,お参りしてから登ることにします。パンフレットも設置されていました。
【右】登城口の様子。

一宮城/案内板
一宮城は本丸より北側の明神丸,才蔵丸等を配置され北城と呼ばれています。
本丸の南側の谷を隔てた場所に配置された小倉丸,椎の丸,水の手丸といった南城と呼ばれる部分は長宗我部元親に攻略されら頃に築かれたようです。

一宮城/登山道  一宮城/倉庫跡
【左】さあ,登城開始です。
【右】まずは城内に2ヶ所ある倉庫跡です。穀物や武器を保管していた場所です。
以前は炭化麦が良く発見されたそうで「ヤケムギ」とも呼ばれ,戦闘で焼かれた名残のようです。
尾根先で眺望も良いので北側の物見としても機能したのでは無いかと思われる位置です。

一宮城/竪堀  一宮城/曲輪
【左】倉庫跡から進みますと左側に竪堀があります。真冬なのですが,草が邪魔ですね。
【右】曲輪と案内された削平地の横を登っていきます。

一宮城/切岸  一宮城/湧水
【左】谷になっている部分を進みますと才蔵丸や明神丸の切岸が見えてきました。ここからさらに急な斜面をつづら折れで登ります。
【右】ちなみに谷の突き当りに湧水があり,城山には何箇所かあるようです。

一宮城/堀底道  一宮城/才蔵丸虎口
【左】切岸を登りますと,才蔵丸(左)と明神丸(右)の間にある堀切に到着。堀底道となっており,ここに侵入して左手の才蔵丸に向かいます。
【右】才蔵丸虎口。技巧的ではない平虎口のようです。

一宮城/才蔵丸  一宮城/竪堀(才蔵まる過ぎたところ)
【左】才蔵丸の様子。城の東側の眺望が良い曲輪です。
【右】一旦,堀底道に戻り堀切を抜けると竪堀があります。、

一宮城/門跡  一宮城/明神丸案内
【左】明神丸へは門跡を越えて折り返す形でアクセスします。
【右】明神丸付近の案内で位置関係は分かると思います。

一宮城/明神丸虎口  一宮城/明神丸
【左】明神丸虎口。ここも特に技巧的ではありません。
【右】明神丸の様子。井戸のようなものもありましたが,案内も無く何かはわかりませんでした。

一宮城/明神丸眺望  一宮城/帯曲輪
【左】明神丸からの眺望。天然の堀の役割を果たしたであろう鮎喰川の流れが良く見えますね。
【右】本丸の帯曲輪と案内された長細い曲輪。
帯曲輪と言うよりは明神丸と本丸を繋ぐ曲輪と言った方が適当な感じがします。

一宮城/本丸案内
本丸の案内板。
この部分だけがっちり石垣で固められており,豊臣政権下の蜂須賀家政が入った時期の改修と考えられています。

一宮城/本丸虎口  一宮城/本丸石垣
【左】やはり豪快な本丸虎口がこの城で最大の見所ではないでしょうか。
【右】野面積み石垣で比較的初期段階のものであることがわかります。

一宮城/本丸石垣2  一宮城/本丸
【左】石垣に折れを持たせて横矢が掛かる工夫は確認できますね。
【右】本丸の様子です。若宮神社の祠あります。

一宮城/本丸眺望  一宮城/釜床跡
【左】本丸からの眺望。
【右】本丸の横にある釜床跡(かまとこあと)。要するに炊事場の跡で石組みが残っています。

一宮城/投石用の石  一宮城/本丸南尾根の堀切
【左】ここから南城の方へ向かっていきますが,その前に本丸の南斜面に散見される投石用の石。これも立派な武器です。
【右】南へ向かう尾根には何本かの堀切を確認することが出来ます。現在の道は尾根に沿って付けられていますので,左側を見ながら進むと良いでしょう。

一宮城/小倉丸案内
南城の中心部である小倉丸の案内板です。
この縄張図では虎口のある東側から入るようになっていますが,シダ類を中心とした草で覆われており,強引に西側の土塁まで登る道が付いています。

一宮城/小倉丸土塁  一宮城/小倉丸
【左】小倉丸の土塁まで上がりました。
右側の曲輪内部が草で覆われており進入すらできない状況で正確なルートはトレースできそうにありません。
【右】土塁の上を歩いていきますと曲輪先端に櫓台跡がありました。

一宮城/小倉丸横堀  一宮城/土橋
【左】小倉丸の西側,南側には横堀が掘られています。
【右】小倉丸より西側に進むには自然地形を利用した幅の広い堀切を渡ります。案内プレートに土塁と書いていますが土橋といって良いのではないかと思います。

一宮城/椎丸へ  一宮城/貯水池
【左】さらに西側にある曲輪群である椎の丸水の手丸に進もうとしたのですが,やはり真冬にも拘らずシダ類に阻まれ進むことが出来ませんでした。
【右】仕方がないので小倉丸と椎の丸の間にある谷筋の道を下山します。
途中にある貯水池,山城に欠かせない水を守る施設です。谷から流れてきた水を下手に土手を作ることにより溜めていました。

一宮城/陰滝  一宮城/下山
【左】鎖を伝って下りると貯水池から流れ出た水が落ちる陰滝です。この岩場,さらに左右の曲輪からの攻撃で水の手である貯水池を守りました。
【右】登山口の南西の地点へ下山してきました。

一宮城/寄神社  一宮城/清水寺
【左】城の麓北東にある寄神社(よりじんじゃ)付近は御殿居(おどい)と呼ばれ平時の居館があった場所と推定されています。
【右】徳島市街地に近い清水寺(せいすいじ)の山門は一宮城の移築門と伝わります。

蜂須賀時代に改修を受けた豪快な石垣造りの本丸が最大の見所であることは間違いないでしょう。
私の場合は四国を制圧していく過程にあった長宗我部元親軍と中央からの羽柴秀吉軍が激突した場所であるという歴史的な事実が大事なお城ですね。


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ジャンル:学問・文化・芸術
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