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2017年01月26日 (木) | 編集 |
訪問日:2016年1月

撫養城(むやじょう)は徳島県鳴門市にあったお城です。
市史跡に指定されており,岡崎城とも呼ばれます。小笠原氏の築城と伝わりますが不明確なようです。室町時代には流浪した足利将軍の足利義稙や足利義栄が撫養で死没したとも伝わります。
その後,戦国時代に阿波国を支配した三好氏の元では四宮氏長宗我部元親の阿波国侵攻後はその配下である真下飛騨守が城主となりました。立地条件から考えても鳴門海峡を押さえる城塞の一つであったと考えられます。
豊臣秀吉の天下となり蜂須賀家政が阿波国を治めることになりますと徳島城の有力な支城である阿波九城の一つとして整備され益田正忠が在城しました。廃城となったのは江戸時代の1638年 一国一城令によります。

撫養城/遠景  撫養城/駐車場
【左】鳴門の町から見る撫養城。模擬天守が見えますね。
現在の妙見山公園は撫養城跡に整備されています。
【右】公園整備されていますので駐車場は十分な広さを持っています。

撫養城/千畳敷  撫養城/参道の石垣
【左】駐車場の南側には千畳敷と呼ばれる曲輪があったのですが,公園整備に伴い何の変哲もない姿となっています。
【右】妙見神社へ向かう道の右手をよく見ると石垣を見つけることが出来ます。

撫養城/案内  撫養城/妙見神社
【左】妙見神社の案内板には撫養城の説明も記載されています。
【右】妙見神社は主郭の一段下の曲輪にあり,背後に城の石垣遺構が残っています。

撫養城/石垣 櫓台  撫養城/石垣
【左】神社の向かって右背後の石垣。結構残っており櫓台のようです。
【右】こちらは左側の石垣

撫養城/神社下  撫養城/模擬天守
【左】神社の下も石垣が続いています。この辺りは修復もあるでしょうが,一般的に目立つ模擬天守に目が行ってしまい,肝心の城郭遺構を見逃してしまうパターンではないでしょうか。
【右】こちらが,昭和40年に頂上部に建てられ町からも良く見える三重の模擬天守。もちろん,戦国時代の支城にこのような立派な天守は存在しません。当日は修理中で立ち入ることはできませんでしたが,元々 無い建物なので,それ程は気になりませんでした。

撫養城/模擬天守工事中  撫養城/眺望
【左】昭和の時代にお城っぽさを演出するために各地で建てられた模擬天守達は随分と傷んできているようで,最近修理中の所が多いように思います。いつの間にか町のシンボルとして定着している模擬天守も多いので,私は一概に否定するつもりはございません。以前より世間の城郭に対する理解も深まりつつある昨今ですので,実際の歴史を上手に伝えていく施設として整備されていけば良いと思います。
【右】主郭付近からの眺望。

阿波九城の一つと言うことで重要拠点であり,町中から見ても如何にもお城があるというのがわかるのですが,残された城郭遺構は多くありません。妙見神社の裏を見逃さないように。


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テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術
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