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2017年02月11日 (土) | 編集 |
訪問日:2016年1月

脇城(わきじょう)は徳島県美馬市にあったお城です。
16世紀の前半に三好長慶により築城されたと言われ,西隣の岩倉城とともに阿波国西部の重要拠点でした。1579年に長宗我部元親が四国平定のため攻め寄せた時の三好方の城主は武田信顕(たけだのぶあき)でした。
武田信顕は調略により長宗我部方に寝返り,脇城下におびき寄せられた十河存保(そごうながやす)等の三好軍は大敗を喫し,川島城川島惟忠もこの時に戦死しています。(脇城外の戦い)。
脇城を支配下に置いた元親は長宗我部親吉を城主としますが,羽柴秀吉の四国征伐により羽柴秀次軍に降伏。阿波国に蜂須賀家政が入った後は徳島城の重要な支城である阿波九城として機能し,筆頭家老である稲田植元が城代となりました。1638年 一国一城令により廃城となりました。
脇城の城下町はうだつの街並みとして知られています。

脇城/遠景  脇城/分岐
【左】麓から見た脇城ですが,舌状台地の先端に築かれており,突端が主郭となっていますので,丁度この先端部分に主郭があるはずです。
【右】車で上がってきましたが,赤矢印の方向が麓の秋葉神社の横に下りる道で最短経路ですが,随分と道幅も狭く悪路のようです。私は徳島自動車の背後まで回り込み青矢印からアクセスしました。
この場所はとっくに城域に侵入しておりⅡ郭とⅢ郭の境目付近になります。

脇城/駐車場  脇城/堀切
【左】車を停めている場所からⅡ郭とⅢ郭を区切る先に堀が伸びていたようです。
【右】こちらから見ると,草が生い茂っている部分は窪んでおり何となくであった形跡がわかります。

脇城/竪堀  脇城/案内板
【左】車を停めた位置から道を挟んで逆側を見ると竪堀として落ち込んでいっているようです。
【右】この城はそれなりの拠点であったはずなのですが,丁寧な案内板がありません。
一応,場所を特定する小さな案内があり,進むとⅡ郭の横を抜けて主郭に辿り着きます。

脇城/城跡へ  脇城/二郭
【左】Ⅱ郭横の道を進んでいきますが,曲輪内は薮であります。
【右】畑地でしょうか?少しだけ曲輪の薮が途切れます。

脇城/水の手?  脇城/大堀切
【左】道沿いに水が湧き出ているのか,小さな池がありました。
【右】これがⅡ郭と主郭を隔てる大規模な堀切
中央が土橋のようになっていますが,元の遺構ではないかもしれません。

脇城/主郭虎口  脇城/土橋?
【左】主郭虎口といってよいのか,発掘調査が進んでいないことと,後世の改変のためこのアクセスで良いのかは不明です。そして主郭の上は荒れ放題の薮です。
【右】主郭の北東側から先程の大堀切を覗き込みますと,土橋の様なものが見えています。
こちらの方が中世城郭遺構っぽいような気もします。

脇城/土塁  脇城/横堀
【左】主郭の東辺から北辺には明確に土塁を確認することが出来ます。
【右】主郭の北側には横堀のような地形もあります。

脇城/井戸跡  脇城/三郭
【左】主郭の薮の中に突如として現れる井戸。。危険!
【右】車を置いた分岐地点より徳島自動車側には民家やソーラーパネル等がある広大な平地がありますが,ここがⅢ郭ですね。改変が著しいため明確な遺構は確認できませんでした。

脇城/居館跡  脇城/うだつのある街並み
【左】脇城には山麓に平時の居館があったとされ,古絵図と照らし合わせると貞真寺の西側一帯,南は脇人神社あたりまで。土塁で囲われていたようで,現在も町中に流れる水路の一部は堀跡であるそうです。
【右】脇町と言えばうだつの街並みとして有名です。重要伝統的建造物群保存地区に指定され観光客も多い城下町です。

脇城/うだつ
うだつとは連続した町屋に造られた防火壁のことです。装飾的な意味合いが増えた後は富の象徴となり,「うだつが上がらない」の語源となったとも言われています。


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