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2017年03月05日 (日) | 編集 |
訪問日:2016年2月

宮崎城は宮崎県宮崎市にあったお城です。
築城時期は明確になっていませんが14世紀前半の南北時代に図師随円・慈円 親子が在城しており,土持宣栄に攻められ敗死した後は土持氏の城となっていました。
1446年 伊東祐堯(いとうすけたか)が攻略し伊東市の城となります。
1534年 伊東氏の家督争いの後は伊東祐吉(いとうすけよし)が宮崎城に入り家督を相続し,宮崎城で没しており,その後を継いだ伊東義祐(いとうよしすけ)も宮崎城に入っています。また,義祐は佐土原城の火災後に暫定的に宮崎城に移ったとも伝わり,一時的に宮崎城を本拠地として使用していた考えられます。最盛期を迎えた義祐の時代には伊東氏四十八城の一つとして飫肥城攻略のための最重要拠点でもありました。木崎原の戦いで島津義久に敗れた伊東義祐が1577年 豊後国に逃れると島津氏家臣である上井覚兼が入りました。
豊臣秀吉による九州征伐後の1587年 高橋元種の城となり家臣の権藤種盛が入ってます。
1600年 関ヶ原の戦いで高橋氏は西軍に付きましたが,途中で東軍に寝返り本領安堵されています。しかし,この間に高橋氏が東軍に寝返ったことを知らず東軍に付いた伊東祐兵(いとうすけただ)の家臣 稲津重政が宮崎城を攻め落城させ権藤種盛は敗死。その後,重政は西軍方の島津氏の攻撃を防ぎ切っています。結局,宮崎城は本領安堵された高橋氏の城に戻ったわけですが,1615年 一国一城令で廃城となりました。

宮崎城/01分岐  宮崎城/02冠木門
【左】県道44号線からの分岐地点。宮崎城趾の案内があります。
【右】この模擬冠木門を抜けて行くと万願寺口。建物の左を直進すると船ヶ﨑口という登城口のようです。車は近くに路駐するしかないようです。
今回は万願寺口から登り,船ヶ﨑口から下山しました。

宮崎城/案内板
冠木門の横にあった案内板。本丸以外の各曲輪に野首城,服部城,射場城,彦右衛門城,百貫城といった名前が付けられています。しかしながら,この案内に記載されている曲輪の位置関係がかなり怪しい。宮崎城 測量調査報告書がネットで見つかり詳細縄張図もあり,可能であれば入手をお勧めします。

宮崎城/03登り口  宮崎城/04登山道
【左】万願寺口から登城開始です。
【右】早朝が故,まだ薄暗い登山道。

宮崎城/05本城  宮崎城/06本城南虎口
【左】本丸に到着。一部は高圧電線の鉄塔で破壊を受けています。
【右】まずは本丸の南側から見ていきますが,早速 南側に明瞭な堀切があります。

宮崎城/07本城南堀切2  宮崎城/08百貫城西堀城道左
【左】堀切を横から見ています。真冬ですが,結構草木が茂っています。
【右】本丸の南側の百貫城と呼ばれる曲輪群の中を突っ切る道ですが,道に沿うように窪んでいる左側は堀跡です。元々は堀底を城道としていたという見解もあり,現在の道は後世の物であるようです。

宮崎城/09百貫城へ  宮崎城/10百貫城
【左】左側の堀跡を渡す土橋状の地形です。
堀底道を城道とすると,これも後世の物である可能性が高いようです。
【右】土橋状の道を渡りますと高圧電線の鉄塔が見えます。
ここが百貫城曲輪の一つですが,全体的に薮化が進行しており確認できるのはこの周囲だけでした。

宮崎城/11百貫城東堀切  宮崎城/12丸城南東
【左】百貫城の東側にある堀切
【右】東側の堀切を越えますと,北東と南東に大きく張り出した長細い曲輪があります。(写真は南東)

宮崎城/13丸城南東堀  宮崎城/外枡形
【左】南東側に張り出した曲輪の先は堀切で区切られていますが,
対面に土塁が築かれていることがわかります。
【右】元に戻りまして,百貫城からさらに南下しますと外枡形が形成されています。

宮崎城/15枡形から堀切  宮崎城/16堀切(2⇔彦右衛門)
【左】枡形の屈曲部も右手がポイント。少し高い位置に堀切が見えます。
【右】これがその堀切。城道より高い位置にある上,堀底に仕切りが検出されており,武者隠しのような役割も担っていたようです。左側(南)が彦右衛門城と呼ばれる曲輪となります。

宮崎城/17彦衛門土塁  宮崎城/18彦右衛門
【左】彦右衛門城に登りますと,堀切側には土塁が築かれていることがわかります。
【右】彦右衛門城の南端は櫓台の高まりを確認することが出来亜m酢。

宮崎城/19大坑  宮崎城/20彦右衛門南堀切
【左】櫓台の東側にある大穴。これは第2次世界大戦中の日本軍の遺構だそうです。
結構危ないので注意。
【右】彦右衛門の南側にある堀切。ここも落差が激しい。

宮崎城/21Ⅵ曲輪  宮崎城/22本丸北側堀切
【左】堀切を越えさらに南側の曲輪丸城と示す文書もあるそうです。
ここはうっすら土塁がある程度です。さらに南側にも幾つかの小曲輪があるようですが,ここで引き返しました。
【右】元に戻って,今度は本丸の北側の曲輪を見ていきます。まず,本丸の北側に設置された堀切

宮崎城/23三曲輪  宮崎城/24野首
【左】本丸のすぐ北側の曲輪は野首城と呼ばれる面積の広い曲輪です。
城道が中央を貫いていますが,道以外はかなり薮化が進んでいます。
【右】野首城北西部分の曲輪は西側に張り出しています。

宮崎城/25三曲輪西側堀  宮崎城/26三曲輪城道
【左】西端から覗き込むと堀切と対岸に土塁を確認することができますが,降りていく気にはなりませんでした。
【右】野首城を貫く城道は右に折れ枡形の名残と思われる窪地を経由していきます。

宮崎城/27服部城  宮崎城/28服部眺望
【左】野首城の北側にある服部城と呼ばれる曲輪。
宮崎城三百五十年や四百年の記念碑が立っています。
【右】ここは少しだけ眺望が開けています。

宮崎城/29服部土塁  宮崎城/30服部堀切
【左】記念碑の裏側にある土塁。結構幅広です。
【右】土塁の西側には堀切を確認することが出来ます。

宮崎城/31二重堀切  宮崎城/32射場城
【左】服部城の北東側に向かうとある二重堀切
【右】二重堀切の先は射場城と呼ばれる非常に長い曲輪があるのですが,かなり薮化が進行しています。

日向を制した伊東氏の主要拠点ですが,整備はそれ程されおらず,普通では見て回れないところも多い印象です。
中々 良い山城だと思いますので,整備,遺構保存には力を入れて欲しいと思います。



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