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2017年03月20日 (月) | 編集 |
訪問日:2016年2月

佐土原城(さどわらじょう)は宮崎県宮崎市にあったお城です。
14世紀の前半に築かれた田島城を前身としており,後に城主の田島氏を追った伊東氏が入りました。
1485年 伊東祐国(いとうすけくに)が島津氏との戦いで敗死すると,伊東氏の勢いは衰え,1537年 佐土原城自体も焼失してまいました。伊東氏の全盛期を築いた伊東義祐(いとうよしすけ)が1542-3年頃に鶴松城(かくしょうじょう)として再度築城し伊東氏四十八城の中心城郭として整備され,類代の本拠地であった都於郡城(とのこおりじょう)と並ぶ城となり義祐の時代は中心となっていたようです。
1577年島津氏に敗れた伊東氏が豊後に追われると,猛将として名高い島津家久が入ります。1600年 家久の子である島津豊久関ケ原の戦いで戦死すると,一時期徳川氏に没収されましたが,1603年島津以久(しまづもちひさ)が佐土原初代藩主として城主となり明治維新まで島津氏の治めるところとなりました。佐土原二代藩主の島津忠興の時には山上の城を廃し,御殿を麓の二の丸へ移転しています。
山上に遺構が良く残り国史跡にも指定され,続日本100名城に選定されています。

佐土原城/二の丸御殿  佐土原城/鶴松館
【左】山麓の二の丸御殿跡。当時は建物の前にが走っていたのですが,埋められています。
【右】現在は御殿を復元して鶴松館(かくしょうかん)という歴史資料館となっています。

佐土原城/鶴松館庭園  佐土原城/山城部へ
【左】鶴松館に復元された枯山水式の庭園
【右】山城部へ向かいます。左に曲がったところに大手道の入口があります。

佐土原城/縄張図
鶴松館にあった縄張図です。
拡大すれば見えますが,Ⅰ,Ⅱ,Ⅲの曲輪群が本丸。Ⅳが南ノ城,Ⅴが松尾丸といった山上の曲輪。
復元された二の丸御殿はi の少し上あたりです。

佐土原城/山城部へ  佐土原城/大手道
【左】山上の曲輪へ向かいます。写真を左折してすぐのところに大手道の入口があります。
【右】大手道は尾根筋をV字に削り込んだ独特の道です。大軍での進軍は容易でなかったことがわかりますね。

佐土原城/堀切  佐土原城/松尾丸への木段
【左】堀切の案内とともに現れる切通し状の地形
谷筋から尾根筋を登って来た的にとっては南ノ城に取りつくことを妨げる堀切と言えますが,大手道を上がって敵にとってはボトルネックとなる切通しと言えるのではないでしょうか。
【右】堀切手前から松尾丸への道が分岐していますが,この木段を進むのでか?という荒れ様です。

佐土原城/松尾丸への道  佐土原城/松尾丸
【左】松尾丸へはあまり人が行かないようで,倒れた竹をかき分けながら進みます。
【右】南の尾根に付き出た松尾丸は田島城と呼ばれた焼失前の時代には主郭であったそうです。一応案内の標柱も立っているのですが,ここまで来る人はかなり物好きなのかもしれません。

佐土原城/南ノ城分岐  佐土原城/南ノ城へ
【左】この場所を左折すると南ノ城です。
【右】南ノ城への道。この場所は左に大きく屈曲させられます。道をまげて敵の進軍を阻みます。

佐土原城/南ノ城虎口  佐土原城/南ノ城
【左】南ノ城の虎口は右に屈曲させられる枡形構造です。
【右】南ノ城は伊東氏の全盛期を築いた伊東義祐時代に拡張されました。大手道のある東尾根と松尾丸のある南尾根の合流地点に位置する防御上重要な曲輪でした。

佐土原城/南ノ城土塁  佐土原城/土檀
【左】南ノ城では明瞭な土塁を確認することができます。
【右】分岐地点に戻り,本丸方面に進みますと土檀のような曲輪があります。

佐土原城/本丸へ  佐土原城/本丸虎口
【左】本丸へはもう一登りです。
【右】本丸虎口です。右に屈曲した枡形構造です。

佐土原城/枡形説明  佐土原城/本丸
【左】本丸枡形虎口の案内板ですが,各見どころに設置されています。アニメ仕立てで山城初心者にも分かり易くを意識しているようです。
【右】本丸の様子。幾つかの曲輪に分かれているようです。

佐土原城/本丸西端  佐土原城/天守台
【左】本丸の西端の先は断崖絶壁となっており,この西側からの侵入は容易でなかったことがわかります。
【右】本丸の北側にある天守台跡。1996年の発掘調査で飯米したそうです。
南九州もしくは島津氏の城で天守があった城は唯一とされ,また日本最南端と言われていますが構造詳細は不明です。

佐土原城/本丸の様子  佐土原城/曲輪
【左】北側から見た本丸の様子。複数の曲輪から成る様子がわかります。
【右】下山は中道という谷筋の道を下りますが,途中の曲輪に休憩所がありました、

佐土原城/中道  佐土原城/下山口
【左】中道も切り立った崖の間をすり抜けていきます。当時は門があったようです。
【右】鶴松館の北側に下山口があります。この辺りは反米役所があった場所です。

佐土原城/御普請所  佐土原城/妻線の案内
【左】鶴松館から北側を見ていますが,写真奥の方に中道の下山口があります。
二の丸跡の空き地は標柱で何があった場所かが示されています。
白い建物の辺りは御普請所跡の標柱がありました。
【右】御普請所跡にあった,駅の案内板?
佐土原駅から分岐していた国鉄 妻線(1984年廃止)の物のようです。

日が暮れてきましたので,少し見切れていない部分もあるのですが,南九州の名将 伊東義祐や島津家久の夢の跡です。麓の復元御殿だけを見て山上を見ない人も多いようですが,お城好きならもちろん山上も必須です。


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