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2013年11月09日 (土) | 編集 |
訪問日:2013年9月22日

上原城は長野県茅野市にあったお城です。
諏訪氏城跡として県史跡に指定されています。
諏訪盆地は古くより諏訪大社の最高位である大祝を継承した,諏訪氏によって治められてきました。
諏訪氏は神々に仕える神官としての側面と武人としての側面を兼ね備え,戦国大名としては少し変わった特別なポジションにあったといえます。15世紀の半ばにはこの上原城が築城されたと考えられ,諏訪氏の本拠地となっていました。
そんな諏訪氏にも戦国時代の荒波は容赦なく襲いかかります。
戦国時代の当主であった諏訪頼重は縁戚関係にあった武田信玄に攻められ,上原城を捨ててお隣の桑原城に逃げ込みましたが,降伏後自刃させられます。ここに嫡流の血筋である諏訪総領家は滅びます。
武田氏の支配下となった上原城には重臣の板垣信方が入り,信濃攻略の重要拠点として機能していきます。その後,武田氏滅亡により廃城になったとされます。


上原城/遠景  上原城/板垣平入口
【左】上原城は永明寺山の尾根に築かれています。
車で上まで登れるのでアクセスは楽ですよ。
【右】ここが普段の生活を営んだ居館跡の正面で,板垣平という名前は武田氏の重臣である板垣信方にちなんだものでしょう。

上原城/案内  上原城/板垣平縄張図
【左】板垣平にあった案内板,ここから徒歩で登ることもできるようです。
まずは居館部分である板垣平を見た後に,車で山上の城郭部分に向かうことにしました。
【右】縄張図の板垣平部分です。

上原城/板垣平  上原城/主要部入口
【左】板垣平ではおじさんが夏草を刈っていましたが,畑以外特に何も無い広場のように見えます。
しかしながら,奥の少し低木の茂った中に土塁と思われる盛上りを確認できます。
【右】車で城郭部分に上がってくると写真のように駐車スペースもあります。
ちょうど曲輪の一つである はなれ山の裏手になります。
左側より はなれ山を回り込みます。

上原城/主要部縄張図  上原城/堀切
【左】山上主要部の縄張図です。
【右】まず目に付くのが,本郭のある山(左側)とはなれ山(右側)の間に切られた巨大な堀切です。

上原城/畝状竪堀  上原城/金毘羅神社
【左】その先左手には,この辺りでは珍しい畝状竪堀を見ることができます。
凸凹と畝状になっているのがわかるでしょうか?このまま崖下に落ちていきます。
【右】三の郭に相当する場所には青麻神社が建っております。

上原城/かまど石  上原城/物見石
【左】三の郭より本来の登城道を少し下りますと,写真のような奇岩があります。
かまと石と呼ばれているそうです。
【右】青麻神社の上にある二の郭にはこれも奇岩。物見岩があります。
物見台の役目も果たしたことから呼ばれているようですが,登るのちょっと怖いといいますか危ないから止めときましょう。

上原城/二の丸から主郭  上原城/主郭
【左】二の郭より本郭を望みます。
【右】本郭です。写真ではほとんどわかりませんが,北東南の三方は低い土塁で囲まれていることが確認できます。

上原城/理昌院平
本郭を西から北側に回り込むと,理昌院平をはじめとする無数の曲輪が階段状に築かれていることがわかります。

戦国武将の中でも特に強力で知名度の高い武田信玄の領地拡大により,信濃では数多くの伝統的な地方勢力が滅亡していきました。とりわけ諏訪総領家はその神秘性もあり特別な存在でありましたが,結局は歴史の流れには逆らえず。
諏訪氏が大切にした諏訪盆地の風景を諏訪氏と同じように上原城から見下ろしてみました。この行動はお城好きなら誰でもやると思うのすが,中々良いものです。


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テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術
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皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの15回目で「上原城の合戦」についてです。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の坂本徳一氏の記事を参考にしています。今までの記事第1弾 江古田原沼袋合戦第2弾 権現山の
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