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2019年04月21日 (日) | 編集 |
訪問日:2017年3月

山中城は静岡県三島市にあったお城です。
北条氏による傑作として知られるこの城は国史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。
16世紀後半 永禄年間(1560年代) に北条氏康により築城されました。東海道を取り込む形となっており本城である小田原城の西の守りとして機能してきました。
北条氏政の時代に豊臣秀吉との関係が悪化し岱崎出丸の整備などの大規模な改修が加えられたものの,未完成のまま1590年 小田原征伐へと侵攻する 豊臣軍を迎え撃ちます。
北条の築城技術の粋とも言えるこの城でも4千程度の北条勢に対し10倍以上の大軍には叶わず,半日で落城しました。
大変な激選であったようで北条方の松田康長,間宮康俊等の主力武将の豊臣方でも一柳直末等が討死しています。城は戦いの後に廃されました。

山中城/案内板
現地の案内板。全部見て回るとかなりの時間が掛かりますが丁寧に見ていきましょう。
まずは駐車場から大手口を進みます。

山中城/01三ノ丸堀.jpg  山中城/02三ノ丸堀東.JPG
●入口から直ぐに表れる三ノ丸堀。堀と平行に中央部に残された畝を進む形です。
●東側のには上部の貯水池から水が流れ込んでいたようです。

山中城/03田尻の池.jpg  山中城/04箱井戸.jpg
田尻池と呼ばれる池で湿地帯であったものを土塁で区切って貯水池としたもの。馬の飲料水等に利用されたと考えられています。また,溢れた水は三ノ丸堀へ流れ込んでいました。
●田尻池の東隣の箱井戸はやや高い位置にあり兵の飲料用であったと考えられています。

山中城/05登り.jpg  山中城/06元西櫓下の堀.jpg
●二ノ丸の南下を登っていきます。
●これは元西櫓下の堀です。上の曲輪との高低差が非常に大きい場所です。

山中城/07西の丸への土橋.jpg  山中城/08西ノ丸畝堀.jpg
●西ノ丸への土橋
●西ノ丸下の畝堀です。これは見ごたえあります。

山中城/09西ノ丸障子堀.jpg  山中城/10西櫓堀.jpg
●こちらは西ノ丸と西櫓の間にある障子堀です。
この堀内部を仕切った畝堀とより複雑に縦横に仕切りが張り巡らされた障子堀が山中城の最大の見所であり北条氏の城の特徴の一つであります。畝の上の兵も堀に落ちた兵も上から振ってくる矢を横に避けることも出来ません。
さらに水分を含むと滑りやすい関東ローム層の堀から這い上がることは困難を極めたことでしょう。
●西櫓の周りにも畝堀が巡っています。

山中城/11帯曲西木戸.jpg  山中城/12城碑.jpg
●城域の西端にあたる帯曲輪には当時西木戸がありました。
●山中城阯の城碑

山中城/馬出案内板
馬出の説明。これによると西櫓は攻撃時に兵が溜まりここから左右の木橋、土橋を使って出撃する馬出であったことがわかります。

山中城/13西櫓.jpg  山中城/14西櫓障子堀.jpg
西櫓は上図の通り土塁で囲まれた方形の曲輪です。
武田氏の丸馬出に対して北条氏の城はこの角馬出が用いられます。
●西櫓と西ノ丸の間の障子堀を上から見ています。

山中城/15複雑な障子堀.jpg  山中城/16西櫓眺望.jpg
●この辺りの障子堀は凄い複雑。
●それ程,天気が良くありませんが西櫓は眺望に優れた場所であることがわかります。

山中城/17西ノ丸堀.jpg  山中城/18溜池.jpg
●西ノ丸の北下にあるはこのまま谷に落ちていきます。
●西ノ丸の東下の谷に残る溜池跡。いたる所に貯水の仕組みが残されています。

山中城/19西ノ丸.jpg  山中城/20西ノ丸土塁.jpg
●面積の大きい西ノ丸。西の防御のかなめと言える曲輪です。
●西ノ丸に残る土塁

山中城/21西ノ丸見張台.jpg  山中城/22元西櫓へ.jpg
西ノ丸見張台です。通信施設として重要であったと考えられています。
●南にある元西櫓へ向かいます。

山中城/23元西櫓.jpg  山中城/24元西櫓木橋.jpg
元西櫓は西ノ丸と二ノ丸の間にある小曲輪ですが,名称からすると拡張前に二ノ丸の馬出を担っていたということのようです。
●元西櫓から二ノ丸への木橋。この橋を越えると二ノ丸の虎口です。

山中城/25二の丸虎口.jpg  山中城/26元西櫓上から.jpg
●橋を渡り二ノ丸の虎口に侵入。
●二ノ丸虎口横の櫓台から元西櫓を見ています。

山中城/27二ノ丸.jpg  山中城/二ノ丸虎口(三の丸側)
●本城部で最大の二ノ丸は面積の狭い本丸に対して兵を多く収容する目的があったようです。
何故か北から南に向かって傾斜しています。
●三ノ丸へはこのルートを屈曲しながら箱井戸方面に下りていくようです。

山中城/28櫓台から本丸木橋.jpg  山中城/29本丸.jpg
●二ノ丸の本丸側にある櫓大より本丸に渡る木橋部分です。
本丸は土塁で囲まれているもののそれ程広い曲輪ではありません。

山中城/30天守台.jpg  山中城/31北ノ丸への架橋.jpg
●本丸に残る天守櫓跡。城内の最高地に位置しています。
●本丸の北側の北の丸へは木橋で渡っていたことが分かっています。

山中城/32本丸堀.jpg  山中城/33北ノ丸.jpg
●本丸と北の丸の間の堀はやはり畝堀となっています。
北の丸は天守櫓跡に次ぐ高所に位置しかなり重要な役割を担ったと推測されています。

山中城/35北ノ丸土塁.jpg  山中城/34北ノ丸堀.jpg
●北の丸もやはり土塁で囲まれた曲輪です。
●北の丸の北側は非常に急で深く広いが残っています。

山中城/36兵糧庫.jpg  山中城/37兵糧庫柱穴.jpg
兵糧庫跡。 兵糧か爆薬の貯蔵場所と言われています。
●兵糧庫跡に残る柱穴

山中城/38駒形諏訪神社.jpg  山中城/39宗閑寺墓.jpg
●山中城の守護神として建てられた駒形諏訪神社
三ノ丸に下りてくると行っておかなければいけないのが宗閑寺
ここには討死した城将の松田康長,副将間宮康俊,豊臣方の一柳直末等の墓が北条方、豊臣方区別な並んでいます。

山中城/40箱根街道.jpg  山中城/42御馬場曲輪.jpg
旧東海道(箱根道)の横から岱崎出丸に向かいます。
●岱崎出丸は未完成ながら南北に長大な城域を誇っており間宮康俊が守っていおり玉砕したと伝わります。これは御馬場曲輪土塁で先まで伸びています。

山中城/43御馬場曲輪堀.jpg  山中城/44御馬場曲輪北堀.jpg
御馬場曲輪堀畝堀であったと考えられています。
●こちらは御馬場曲輪北堀と呼ばれる堀ですが,調査の結果検出されたが復元はまだのようです。

山中城/45御馬場曲輪全景.jpg  山中城/46一ノ堀.jpg
御馬場曲輪を南側から見ており非常に長大であることがわかります。
●岱崎出丸の西側に築かれた一の堀は非常に急峻な畝堀で見所の一つであると思います。

山中城/47すり鉢曲輪見張台.jpg  山中城/48すり鉢曲輪.jpg
●岱崎出丸の突端に当たるすり鉢曲輪側に築かれた見張台で市街地方面への眺望が開けています。
すり鉢曲輪と呼ばれる曲輪ですが,確かにすり鉢状で削平度も甘く,未完成であった名残ではないかと思います。

15年以上ぶりの再訪でしたが,相変わらず素晴らしい整備状況。
北条氏の築城技術,土の城の魅力を存分に味わうことができる名城です,これほどの城であっても10倍以上の敵に対しては一日も持たなかったのですが,戦死者の多さがこの城の防御力の高さを表しているように思います。


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テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術
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