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2019年05月11日 (土) | 編集 |
訪問日:2017年3月

深沢城は静岡県御殿場市にあったお城です。
県史跡に指定されています。
深沢城は駿河,甲斐,相模の三国の国境付近の城で境目の城として非常に重要視された城です。
元々は駿河を支配していた今川氏による築城と考えられているのですが,今川氏が駿河を追われた後は北条氏の持ち城となっていました。1560年 武田信玄による駿河侵攻からは武田氏と北条氏の争奪戦の場になります。
1570年 一度,武田氏に奪われたこの城を取り返した北条氏は城将として猛将 北条綱成や重臣の松田憲秀等を送り込みます。
信玄は再び深沢城を囲み猛烈に攻め立てますが,開城を求める信玄からの矢文に応じ籠城を諦めた北条綱成は開城しました。これ以降は1582年 武田氏が滅亡するまで武田氏の駿河における重要拠点として機能しました。
武田氏の後は徳川家康が支配しましたが1590年に北条氏が滅亡すると軍事拠点としての意義が無くなり廃城となりました。

深沢城/01正面.jpg  深沢城/02三日月堀.jpg
●三叉路にある城碑と案内板。城内へはこの右横から入っていきます。
●案内板等のすぐ背後にある三日月堀。武田氏の築城技術に良くある堀です。

深沢城/案内板
この城の特徴は何と言っても数の多い馬出です。三の丸の東や二の丸の南北に見ることが出来ます。

深沢城/04三ノ丸東堀.jpg  深沢城/03馬出1.jpg
三の丸を東側から越しに見ています。
●これが三の丸の東側にある馬出。奥には詩碑がありました。

深沢城/05三ノ丸への土橋.jpg  深沢城/06三の丸北の堀.jpg
●馬出から三の丸へはこの土橋を渡ります。
●三の丸の北側にあるです。

深沢城/07馬出二ノ丸南.jpg  深沢城/08二鶴様式の堀.jpg
●二の丸の南側にある馬出は畑地になっていました。
●この辺りの二鶴様式の堀と呼ばれ鉤の手状に食い込んだ堀が通路を制限しています。

深沢城/09二ノ丸土塁.jpg  深沢城/10二ノ丸.jpg
二の丸の南側に残る土塁です。
●案内板では南北を強固に防御した二の丸ですが実質の主曲輪であったと考えられています。

深沢城/11食糧庫.jpg  深沢城/12二の丸北の馬出へ.jpg
●藪で何のことかわかりませんが,二の丸にあった食糧庫跡です。
●二の丸の北側馬出への土橋を渡ります・

深沢城/13二の丸北馬出.jpg  深沢城/14二の丸北馬出2.jpg
●二の丸の北側にある馬出です。
●馬出を本丸側から見ています。右手奥から侵入し手前に抜けます。

深沢城/15本丸.jpg  深沢城/16袖郭.jpg
●城内最大の面積を有する本丸
実質の主曲輪は二の丸であったようですので,背後にある兵の駐屯地の役割が想定されるようです。
●本丸のあった袖郭と呼ばれる部分。

深沢城/17城櫓.jpg  深沢城/18馬伏川.jpg
●これも本丸にあった城櫓。ここに櫓があったのでしょう。
●天然の堀の役割を果たした馬伏川は大きく蛇行し複雑な形状を生み出しています。

深沢城/19三ノ丸南西堀.jpg  深沢城/20三の丸虎口.jpg
●見落としていけないのが,道路を跨いだところ三の丸南西部に巨大な三日月堀が残っています。
●この部分は堀が喰い違いになっており三の丸南西側の虎口を形成していました。

武田氏と北条氏が激しい争奪戦を繰り広げた国境地帯を押さえる重要拠点で,歴史的にはリアルな戦国時代を感じることのできる場所です。特に北条氏の重臣 北条綱成や松田憲秀が守備したことからもその重要性がわかりますよね。


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テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術
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