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2019年08月31日 (土) | 編集 |
訪問日:2017年5月

岡豊城(おこうじょう)は高知県南国市にあったお城です。
国史跡に指定され続日本100名城にも選定されています。
標高97mの岡豊山に築かれた岡豊城の築城時期は定かでありませんが,歴史民俗資料館のパンフレットによると15世紀に長宗我部氏がこの地を拠点としたとあります。
応仁の乱以降に土佐国は名門 一条氏と土佐七雄と呼ばれる豪族達の勢力争いで乱れますが,16世紀の初頭に本山氏、山田氏、吉良氏 等の連合軍により岡豊城は一度落城したとされています。
長宗我部国親が岡豊城に復帰して以降,長宗我部氏はこの城を拠点に土佐を代表する勢力となり,その子の長宗我部元親の代に四国の覇者へと飛躍していきます。
1585年に豊臣秀吉に降伏した元親は1588年居城を大高坂山城(後の高知城) さらに1591年には浦戸城へと移したため廃城となりました。

岡豊城/01歴史民俗資料館.jpg  岡豊城/02飛翔之像.jpg
●岡豊城へは高知県立歴史民俗資料館に車も置けますし,城にまつわる資料も確認していくと良いでしょう。
●登城口正面にある長宗我部元親 飛翔之像
この城から四国統一に向け飛翔した長宗我部元親です。
かなり今風の男前ですが,実際の元親も中々の優男と伝わっております。

岡豊城/案内板
現地にある案内板です。主要な遺構はこれを見ればわかると思います。(方角は上が南、下が北となっています)

岡豊城/縄張図
こちらも現地にあった縄張図です。
堀切竪堀が無数にあり,この城を特徴付ける遺構であると思います。

岡豊城/05二ノ段.jpg  岡豊城/03東方面.jpg
●登り口からまず最初に到達するのがこの二ノ段
東側に眺望が開けたこの曲輪は面積が広く兵の駐屯地であったと考えられています。
●二ノ段から見る東側の眺望です。

岡豊城/04二ノ段土塁.jpg  岡豊城/06二ノ段堀切.jpg
●二ノ段に残る土塁
●二ノ段と本丸に相当する詰との間にある堀切

岡豊城/08井戸跡.jpg  岡豊城/07詰へ.jpg
●堀切の中央部に造られた井戸跡石積みを伴うものです。
●堀切を過ぎて詰に向かいます。

岡豊城/09詰下段.jpg  岡豊城/10詰段.jpg
●詰下段と呼ばれる小曲輪です。ここでは礎石建物跡と土塁が検出されています。
●ここが最高所で本丸に相当するです。

岡豊城/11模擬櫓.jpg  岡豊城/12詰土塁.jpg
●訪問した時には期間限定で模擬櫓が建てられていました。もう無いのかな?
●詰に残る土塁。南側の虎口の先は三ノ段に下りるようになっています。

岡豊城/13眺望.jpg  岡豊城/14三ノ段.jpg
●詰からの眺望。
三ノ段は帯曲輪のような曲輪でやはり土塁で防御されていたことがわかります。

岡豊城/15三ノ段石積、礎石建物跡.jpg  岡豊城/16四ノ段虎口.jpg
●三ノ段に復元された礎石建物跡石積みの遺構。
四ノ段に北側から侵入する枡形虎口です。

岡豊城/17四ノ段虎口2.jpg  岡豊城/18城碑.jpg
●四ノ段の枡形虎口を内部から見ています。
●四ノ段にある城碑長宗我部氏岡豊城址とあります。

岡豊城/19四ノ段南部から.jpg  岡豊城/20横堀.jpg
●四ノ段を外から見ると高い土塁虎口を開けていることが分かります。
●四ノ段の周囲を西から北に巻く横堀です。

岡豊城/21竪堀.jpg  岡豊城/22竪堀2.jpg
●岡豊城では曲輪の側面には無数の竪堀を確認することが出来ます。
ここの散策路の橋は竪堀を渡しています。
●上下を見るとこのように竪堀が続きます。

岡豊城/竪堀3  岡豊城/堀切 厩跡曲輪へ
●この部分は竪堀自体が散策路の様になっています。
●西側で出丸ような役割を果たしたと考える伝厩跡曲輪に向かいます。
この散策路の分岐地点は大きく窪んでおり,当時の堀切跡であることがわかります。

岡豊城/23伝厩跡曲輪.jpg  岡豊城/25厩横堀.jpg
伝厩跡曲輪の様子。
●伝厩跡曲輪の周囲にも写真のような尾根を断ち切る堀切が残っています。

岡豊城/24厩竪堀.jpg  岡豊城/26厩横堀2.jpg
●堀切はそのまま崖下に竪堀となって落ちていきます。
●北側は横堀の様になっています。

岡豊城/27土佐山村民家.jpg  岡豊城/28伝家老屋敷.jpg
●歴史民俗資料館より少し麓側に下りるとあるのが,この旧味元家住宅主屋(山村民家)です。
移築したものですが江戸時代の木材が使われているそうです。
●城域の南側の麓川にある伝家老屋敷曲輪に向かいました。ここが入口のようです。

岡豊城/29家老屋敷.jpg  岡豊城/30遠景.jpg
伝家老屋敷曲輪は完全に未整備で,ここで断念しました。
左の矢印の土盛りは土塁のようなのですが判然としません。
●最後に南を流れる国分川越しに岡豊城の遠景。

土佐の戦国大名として有名な長宗我部元親はここを拠点に勢力を伸ばし四国の覇者となりました。
岡豊城は四国の戦国史にとって最も重要な城の一つといえるでしょう。


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テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術
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