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2014年01月11日 (土) | 編集 |
訪問日:2013年11月24日

宇佐山城は滋賀県大津市にあったお城です。
宇佐山城は京都への侵入経路を押える重要拠点として織田信長の武将である森可成(もりよしなり)によって築城されました。森可成は有名な森蘭丸の父ですが,本人も初期の織田軍を支えた名将です。
前回の野田城に続き,1570年 織田信長が敵対勢力の包囲網の中にあり最も苦戦していた時期の話です。
野田城・福島城の戦いにおいて織田信長主力軍は三好三人衆顕如率いる石山本願寺軍と対峙していました。この時に浅井・朝倉軍が宇佐山城へ押し寄せてきます。初戦では撃退したものの,比叡山の僧兵まで加わり劣勢となります。 この宇佐山城の戦いで麓に下りて浅井・朝倉軍を迎え撃とうとした城主 森可成や連携していた信長の弟である織田信治,青地茂綱が討死するというピンチに見舞われました。お城自体は堅城であり信長主力軍の救援まで持ちこたえました。
その後,宇佐山城は近江を任されることになった明智光秀坂本城を築城するまで重要拠点として機能したようです。

宇佐山城/遠景  宇佐山城/宇佐八幡宮
【左】麓から見上げるとNHKの電波塔があるところが,宇佐山城です。(拡大して下さい)
【右】東側より宇佐八幡宮を目指します。ここまでは車で登ることができます。

宇佐山城/登城口  宇佐山城/登山道
【左】宇佐八幡宮からほんの少し下ったところに登城口があります。
【右】以前は迷いやすかったという話を聞きますが,現在は地元の小学生等が案内板をこまめに立ててくれていますので,分かり易かったですよ。道自体はかなり急峻でつづら折れを登って行きます。

宇佐山城/本郭 東面石垣(北)  宇佐山城/石垣残欠
【左】坂道を登りきると本郭下の曲輪付近で最初に目に飛び込んでくるのは,この野面積みの石垣。本郭の東下になり,比較的状態も良く見所の一つです。
【右】少し本郭の東に沿って南側に行きますと,破壊された石垣の残骸と思われる石がゴロゴロ。

宇佐山城/本丸東面石垣  宇佐山城/帯曲輪石垣
【左】その上にも石垣が。本郭の直ぐ下になると思います。
【右】さらに南側,自分の立っていた帯曲輪の石垣です。ここが最も状態良く規模も大きいか。

宇佐山城/本丸北面石垣  宇佐山城/横堀
【左】元に戻って本郭の北側,三の郭との間に回り込みますと,やはり石垣が。
【右】本郭北側には横堀を見ることができます。

宇佐山城/本郭  宇佐山城/二の郭
【左】本郭上は電波塔に占拠されています。
【右】本郭南に一段下がって隣接する二の郭にも何やら放送関係設備があるようです。

宇佐山城/本郭虎口  宇佐山城/土橋
【左】二の郭⇒本郭の虎口はクランク状になっています。左の土塁状の高まり櫓台の可能性もあるようですが,右から左へ回り込む形になっています。
【右】本郭の北側にある三の郭に向かいます。
この間は大きな堀切で遮断されており,左右は竪堀のようになって落ち込んでいっていますので,土橋のような形状になっています。

宇佐山城/三の郭  宇佐山城/三の郭石垣
【左】三の郭です。
【右】三の郭の東側にも若干石垣が残っています。

宇佐山城/北曲輪へ
さらに少し離れた北側の尾根伝いにも曲輪があるようです。向かいましたが御覧のように馬の背中ような幅の尾根上を木を避けながら歩かないといけないようです。本当にこの道であってたのか??無理せず引き返しました。

森可成は初期の信長を支えながらも派手な織田信長軍団の中にあっては比較的地味な印象ですが,私は気になる武将の一人です。その森可成が命を掛けて守ったお城を是非見ておきたかったのです。
車が使えれば比較的アクセスも楽で,そこそこ遺構の残る中世山城を堪能できます。
改めて思うに織豊政権下で可成を筆頭にこの森一族(可隆,長可,蘭丸,坊丸,力丸)の払った犠牲は中々印象深いものばかりです。


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